« 阿部元太郎の造りしもの(参):‖雲雀丘100年浪漫 「雲雀丘」の由来 「滝の谷川」「雲雀の滝」(弐) | トップページ | 軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(四) »

2018年11月11日 (日曜日)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(参)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(弐) の続き。
摂津鉄道の終点、池田駅の痕跡が
何とか見つからぬもんか。

 

池田駅はウィキペディアによると
1893年(明治26年)12月には開業している。
1897年(明治30年)に阪鶴鉄道に
路線が売却されており、このころには
池田駅は西の方に移転していたと思われる。
1897年まで池田駅があったとしても、
今から121年も前の話。

 

当時はもちろん蒸気機関車やから
終点の駅付近には、
転車台や、水や石炭を貯めておく
巨大で頑丈な建物があったはず。
そんなんの基礎跡でもないもんやろか。

 

「川西市史 第三巻」というやつの
「図12」に摂津鉄道池田停車場付近が
描かれているらしい。
ネット上でも、どなたかが、
それを写真に撮った画像が見られる。
それを見ますと、東西に伸びる街道の
手前(南)に池田駅はあったようだ。
じゃ街道の向こう(北)側に転車台などは
作らないだろう。

 

ウィキペディアによると摂津鉄道は
客車を4両連結していたという。
1両何mやったのやろか。
京阪石坂線の現在の車両長さは
16.5mらしい。
これは短い方やと思う。
摂津鉄道の時代はもっと短かったやろか。
15mとして4両で60m、
これに蒸気機関車が付く。

 

国土地理院地図
図1

 

Img20181111170123856_2

 

(図をクリックすると大きくなるかも)
この図1で「イ」地点の東西の大きな道は
国道176号線。「イ」地点から北に伸びる道は
小戸(おうべ)神社に続く。

 

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0025_8_2

 

上の写真は
「イ」地点のすぐ北にを撮ったものやが
こんな風に石碑もあってこま犬もいる。
よって、
「イ」地点より北に駅やその他鉄道施設は
なかったであろう。
「イ」地点のすぐ南、小花(おばな)交番が
鉄道施設の北端であろう。
「イ」地点の南の広場は、以前の記事で
 紹介した西詰公園。
「ロ」地点は、みつなかホール。
「ハ」から南西(図1では左下方向)に
 伸びる道が、軌道跡ではないかと見ている。

 

小花交番からみつなかホールまでが
直線距離で90mほど。
この間に、転車台もホームも
収まっていたのやろか。
国土地理院のサイトから得た航空写真

 

Photo

 

USA.jpg
整理番号 USA
コース番号 M34-3
写真番号 31
撮影年月日 1948/03/31(昭23)
撮影地域 大阪西北部
撮影高度(m) 2438
撮影縮尺 15875
地上画素寸法(cm)
カメラ名称 K-17B
焦点距離(mm) 153.600
カラー種別 モノクロ
写真種別 アナログ
撮影計画機関 米軍
市区町村名 川西市

 

ずいぶんと時代が下ってからの
写真になります。
真ん中へんだけ切り出したのがこちら。

 

Photo_3

 

この航空写真やと、今の、
みつなかホールやマンションのあるところ
(「ロ」地点)は、
この当時は農地か更地のようで
建物がある感じがしない。
「イ」地点と「ロ」地点の間は
建物がぎっしり建っているように見える。
しかしながら、
転車台を思わせる、丸い感じの区割り
などは見えない。

 

もし「ロ」地点に何かあったとしても
みつなかホールやマンションが
建設されたときに、跡形もなく整地された
のやろな。
まあ、もう少し、この周辺の捜索を継続
してみますか。

 

Is there a trace of the turning table?

 

---2018-11-12追記ここから---

 

のせでんハイキングのサイト のコースマップに見落としあり。
こんなことが描いてました。

 

Photo_2

 

みつなかホールの北東、
阪急の高架の下あたりを停車場跡としている。

 

「池田(小戸)停車場跡」とは?
「小戸(おうべ)停車場」という名称だった
こともあったということか??

 

---ここまで---

 

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「何のマーク」一庫ダム。インドネシア国旗みたいなんが描いてある。
Dsc_0012_8

関連記事

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(四)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(伍)

略称の選択を:‖ 摂津鉄道はどこ

世界の中心で叫~ばず~に~いられな~い:‖ 摂津鉄道(阪鶴鉄道)はどこ

せめて、人間らしく:‖ 摂津鉄道(阪鶴鉄道)はどこ

|

« 阿部元太郎の造りしもの(参):‖雲雀丘100年浪漫 「雲雀丘」の由来 「滝の谷川」「雲雀の滝」(弐) | トップページ | 軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(四) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(参):

« 阿部元太郎の造りしもの(参):‖雲雀丘100年浪漫 「雲雀丘」の由来 「滝の谷川」「雲雀の滝」(弐) | トップページ | 軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(四) »