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2020年6月28日 (日曜日)

見知らぬ、温泉と飲料 :‖ 宝塚温泉の歴史と「ウィルキンソン タンサン」の起源

宝塚温泉の歴史と
「ウィルキンソン タンサン」の起源
について知っておこう。

このたび、ウィルキンソンが日本もんだと
初めて知ったのであります。
てっきり、ペリエとかと同じ、
輸入もんかと思てました
その辺、なんか宣伝足らんのでは。
いや、あえて、そこは
積極的に推してないのか。

宝塚市民には当たり前に浸透しているのかも。
こっちが知らんだけか。

ホテル若水の前にこういう碑があります。
Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR

Dsc_0003-34

説明する看板もあります。
Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR

Dsc_0004-25

宝塚温泉の歴史

 鎌倉時代、この辺りには小林荘(おばやしのしょう)という荘園が
ありましたが、一二二三年(貞応二年)に藤原
光経が「津の国 をはやし(摂津の小林)に湯浴」
みして歌を詠んでいます。
 伊孑志(いそし)武庫山の山上にある潮泉山 塩尾寺(えんぺいじ)の
伝説では、室町時代、将軍足利義晴の時代に、
悪瘡(そう)(肌の病)を患い苦しんだ女性が、観音様の
教えで武庫川の鳩ヶ淵ちかくの柳の根元に湧く
酸い水からい水で湯あみして病を癒したのだと
いいます。これが宝塚温泉の始まりだと伝えて
います。
 江戸時代には、塩尾(しおのお)の湯、伊孑志の湯、川面(かわも)の湯
などの名で親しまれ、「有馬(の)温(ゆ)湯流(なが)レクダル餘水」
と『摂陽群談』に記されています。
 この温泉場は一八八七年(明治二十年)に
「宝塚温泉」と命名されて近代的発展が始まり
ました。この石碑はその年に建てられたものです。
現存する「宝塚」と刻まれたものの中で、最も
古いものです。

                田辺 眞人

「ウィルキンソン タンサン」
          の起源

 温泉場には、昔から「酸(す)い水」と
「鹹(から)い水」の2種類の水が湧くことが
知られていました。
 イギリス人のジョン・クリフォート・
ウィルキンソンは狩猟で訪れた宝塚で
この鉱泉に出会いました。英国に分析
を依頼し、優秀な食卓用鉱泉である
ことが判明したので、一八九〇年(明治
二十三年)に紅葉谷に瓶詰工場を設け、
販売を開始しました。
 その後、「酸い水」を「TANSAN」
(タンサン)と名付け、「鹹い水」を薬効水
「NIWO」(仁王水)と称し、世界に向け
販売しました。
「TANSAN」は、大正時代には
海外二十七カ所に販路を拡げるなど、
日本を代表する炭酸水ブランドと
なったため、日本においては炭酸飲料
を単に「タンサン」「TANSAN」と呼称
することが一般化しました。
                鈴木 博

「酸い水」が、まあ言うたらH2CO3で、
依って炭酸水やとして、ほな、
「鹹い水」の「NIWO」(仁王水)とは何か。

アサヒ飲料のサイトによると
「胃腸を仁王の如く強くする」という
コンセプトだったという。
また、
「仁王印ウォーター」は
「ウヰルキンソン タンサン」に名を変え・・・
とありますから、結局、「酸い水」由来の
「TANSAN」ブランドと合流?した
のでしたら、両者は同じもののようでもある
が、しかし、
写真の看板の記載やと、元は違うものやった
ようですし。よお分からん。

「鹹(から)い水」ていうくらいやから、
塩味やったのではないのか。
有馬温泉の金泉のようなものではなかったか。
しかし、あれは飲んだことがあるが、
いわゆる「血の味」がして、
飲めたもんやない(笑)

ホテル若水を挟んで、反対側は
炭酸煎餅のお店でした。
Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR

Dsc_0007-18

以上です。


---追記2020-7-20---
こういうものを見つけました。

国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/924405
『北摂温泉誌: 附・三田、伊丹、池田名勝』
というのが公開されています。
その
コマ番号43/125
に寶塚温泉の記述あり。

コマ番号44/125 4行目から
---
かくて此(この)寶塚(たからづか)の世に知られたるは極めて新しく、
昔はこゝに鑛泉(こうせん)の湧出る事を知る
者も少なく、僅かに村民等の汲み取りて浴用に供せしのみ、
然るに明治十七年頃、丹波國氷上郡本田中村の人、
當時大阪に出で牛乳業を營める小佐治(おざぢ)豊三郎ありけるに、
或時川邊郡(かわべぐん)川面村(かわもむら)の人、
大阪に來り小佐治豊三郎に談するに、近頃長尾山腹(ながおやまはら)
に櫻小場(さくらこば)とて五十八村の野山あり、
先年開墾して田地となせしも近年は荒れ果てゝ今は野原となれり、
こゝに牛馬の牧場と起せば便ならんとの事より
豊三郎、是れより牧牛を試みしに此地水土共に畜牛に適し、
成績最も良好なれば、一度其地を實地見聞(じっちけんぶん)
せんとて、十八年二月頃同地に來り、川面村の岡田竹四郎、
田村善作を訪ひ、三人にて伊孑志山(いそしやま)に
雉鳥(きぢとり)を射獵(しやれう)に往き武庫川(むこがわ)の
右岸小松原にて小憩せる時、岡田田村の云ふに此傍に䀋水の湧出づる
處ありと汲み來りて嘗むるに、一は鹹(しほから)くして、
一は酸(すつぱし)なり、此れは珍らしき水なりと二泉を
汲み歸(かへ)りて、豊三郎は之れを高橋正純(たかはしせいじゅん)
と云ふ人の許(もと)に持ち行き、山䀋(やましほ)
を製しては如何(いかが)や試み賜へと賴みしに、高橋氏早速醫學士
(いがくし)松尾耕三氏を介して試驗せしに、
其結果は䀋を製するよりも、浴用にせば其効能頗(すこぶ)る
大なりと、殊に僂麻質斯(りうまちす)疝氣(せんき)等
には適當(てきたう)なることを*證明(そうめい)せられしより、
愈(いよいよ)此地に*浴場を設置せんと、明治
二十五年五月五日を以て寶塚温泉*浴場を開業せり、
是れ温泉の開山なり、之れより大阪神戸
より其名を聞き遊覧に治療に集り來る者、絡繹(らくゑき)群をなし
忽(たちま)ちに一市街を作るに至る、
---

*字がつぶれていて、読み取れず、もしかすると違うかも。

あれれ、この記述だと、
「雉鳥(きぢとり)を射獵(しやれう)に往」って「䀋水の湧出づる
處ありと」見つけたのは、ウィルキンソン氏ではないぞ。
混乱しますな。


ウィルキンソンについての記述は、もう少し後ろに少しあり。

コマ番号45/125 後ろから4行目から
---
又寶塚鑛泉會社及び英國人ウヰルキンソン炭酸水工場あり、
數多(あまた)の人夫を使雇(しよう)す、
電燈は猪名川電氣及箕面(*みのも)有馬電氣の両會社より供給せり。
---


*現在では、「みのお」と呼称するがな。どういうこと?

ウィルキンソンが突然出て来て、経緯とかの記述なし。

 

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