旅行・地域

2018年9月17日 (月曜日)

阿部元太郎の造りしもの(拾弐):‖ 雲雀丘100年浪漫 周辺の様子(寺畑前川、ヤンマー花屋敷寮、サントリー?、雲雀丘学園の門、鰻屋のポスター)

雲雀丘および、その周辺で撮った写真です。

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
(以下も機材同じ)
Dsc_0023_4
いきなりですが、
これは雲雀丘ではなくて、
そこから少しくだったところにある
「寺畑前川河川管理施設」。
大雨のときなど、
水を一時的に貯めるスペースがあるようで
これができて以降、今のところは
寺畑前川があふれたことはない。
(と思う。以前はあふれたことがあった。)

Dsc_0021_5
これは
旧花屋敷駅があったと思われる地点のすぐ北、
「ヤンマー花屋敷寮」と書いています。


そこから少し、西に行ったあたりがこちら
Dsc_0006_4
このあたりの大邸宅は、
サントリーの社長、会長のご一家?
のものではないかと勝手に思っている。
(もちろん確認などしていません。)

Dsc_0031_7
これは雲雀丘学園の門。
前は全部漢字でこんな感じやった。

まあこれは同じ門ではないのですが、
前は「不許入無挨拶雲雀丘」やったのが
「雲雀はあいさつから」に変わっています。
すこしやさしい感じになりましたね。

駅の近くに鰻屋さんがありまして、
Dsc_0050_1

その窓からこんなポスターが見えていました。
Dsc_0051_3

全文を引用しますと下記の通りです:

「母なる天然鰻を守ろう。
 おいしい鰻をお届けするために
 かかせない鰻の養殖。
 しかし、この養殖も、じつは卵から
 人工的にふ化させているわけではなく、
 天然の鰻の稚魚(シラスウナギ)を
 捕獲して、
 それを養殖池で大切に育てること
 により実現できています。

 近年、深刻なのが、その天然シラスウナギ
 の減少。
 2004年に比べ、2012年の取引価格は
 約10倍にものぼり、
 鰻のご提供価格にも大きな影響を及ぼし
 始めています。

 私たちは、古より愛され続けてきた鰻という
 貴重な天然資源の回復のため、
 産卵に向かう下り鰻の保護と天然鰻の
 漁獲抑制を求めて参ります。
 皆さまのご理解とご協力を何卒よろしく
 お願い申し上げます。

 日本鰻協会」

(改行位置は変えています。)
どのように協力したらよいのやろう。
鰻を食べなければよいのか。
(実際、もう最近は積極的には食べて
 いない。出てきたら食べるけどね。)
しかし、それでは鰻屋は困るやろなあ。

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「廃棄物」これは猪名川の河原で撮ったもの。これは今や懐かしいCRT(ブラウン管)ではないか。あかんな、こんなとこに捨てたら。
Dsc_0042_2


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2018年9月 9日 (日曜日)

六甲山観光株式会社の造りしもの:‖ アスレチック 売店のメニュー 「トキガミ」

六甲山の夏の景色の写真なんですが
ずいぶん季節外れになってきましたが
まとめて載っけておきましょうか。
要りませんか。でも載っけますよ。

アスレチックがありました。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
(以下も機材同じ)
Dsc_0011_7
こんな、みんなで擦ったらよ、
Dsc_0012_6
ほら、こんなつるつるになる。


Dsc_0014_2
「じゅじょう」やなくて「きじょう」
なんでそんな湯桶に読ます?
Dsc_0049_2
「フレンチドッグ」やのおて
「フランスドッグ」600円。
他には
やまみつカレー700円
親子丼700円
ぼっかけ焼きそば550円
ディッピンドッツアイスクリーム350円
(↑何かわからん)
アサヒスーパードライ生500円
ホットコーヒー250円
(「本日売り切れ」で見えん250円)
ホットココア300円
アイスコーヒー300円
アイスティー300円
アイスココア350円
やまみつドーナツ10個680円
ディッピンドッツ ドッツンクラッシュ
 500円
(「お好きな氷とディッピンドッツをお選び
 ください。」とある。)


展望台から大阪を望む。
USJとか海遊館とか見え
Dsc_0052_2
Dsc_0052_3
Dsc_0052_4
てんのかどうかわからん。
双眼鏡持っていくの忘れた。
ニコンのを持っているのに。
D5300買うたときにもろたやつあるのに。
現場にある固定の有料のやつは
もったいないから見ない。


夜は有馬温泉。
宿の部屋にこんな電話。
Dsc_0056
サザエさんで見たことはあるが
本物は初めてみたとかいう中学生。
電話のかけかたを教える。


Dsc_0058
宴会場近くにこんな魅惑の看板が。
この宿ちょっと良い宿やったので
廊下にこんな感じの生け花があったり。
Dsc_0065
宿のご飯て、たいてい食い切れんくて
もったいない思いをするのやが
さすが中高生
Dsc_0067_3
よくやったな、シンジ。


翌朝はまた六甲山へ。
有馬温泉からロープウェーに乗る。
乗り場、朝9時半とはいえ、この涼しさ。
Dsc_0069
結構ぎゅうぎゅうで、景色楽しめず。
Dsc_0071


山の上では「真夏の雪まつり」
Dsc_0072_1
ここは冬場はゲレンデや。
むかーし、子供と二人で一回来たことがある。
冬に。スキーに。
当時はスノボはあかんかったように思うが
どうやったかな、時間帯によっては
オーケーやったかな。

で、ここで始めてしまったのが
謎解きゲーム「トキガミ」
Dsc_0085
上級編を選択してしまい、
(中級、初級もあった)
結果、ゴールできず。難しすぎた。

(2018-9-17,19少し修正しました。)

Summer view of Mt. Rokko

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「夏雲」これも掲載しそびれたもの。
これは六甲山で撮ったのではない。
Dsc_0086


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2018年9月 8日 (土曜日)

阿部元太郎の造りしもの(拾壱):‖ 雲雀丘100年浪漫 旧安田邸

こないだの記事
の、雲雀丘花屋敷駅、西改札口を出たとこ
にある看板に載っている「旧安田邸」について
知っておこう。

旧安田邸の前にはこんな看板が公道に向けて
出ている。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0028_7
ので、ここで紹介しても、問題ないかと。
(もし問題あればお教えください、削除します)
現地では、普段、敷地に入ることは出来ない。
以前、イベント?で公開?されているのを、
見かけたことがある。

看板の右半分の記載は次の通り:
・・・・・・・・・・・・・・・
ー歴史的建造物復興宝塚浪漫物語委員会(注1)ー
 平成22年3月宝塚市に故安田敏子様から
遺贈された旧安田邸を、ご本人の想いを
受けて保全に向け平成23年9月
コミュニティひばり(注2)に、
歴史的建造物復興宝塚浪漫物語委員会が
発足しました。
 委員会は、地域有志と宝塚市政策室及び
有識者で構成し、建物の復興と地域文化の
拠点としての活用を願い協議を始めています。
市財政の状況から復興への過程は厳しい
面はありますが、市と市民の協働で取り組み
実現を目指しています。

委員会の活動項目
 ◯ メディアを通じての情報発信
    ・地域文化財の保全活用への活動
     状況を発信する。
 ◯ 建物の保全
    ・歴史的建築物保全の有識者
     (兵庫県ヘリテージマネージャー
     (注3)等)のアドバイスを受け、
     保全方法の模索
 ◯ 活用
    ・別棟の居住棟の活用と復興後の
     旧安田邸の活用
 ◯ 宝塚雲雀丘
    ・花屋敷物語の復刊
     ・故安田様の寄贈の切っ掛け
      となった、平成12年発刊の
      『宝塚雲雀丘・花屋敷物語』
      (注4)(絶版)の復刊

活動に協賛して頂ける方歓迎
沢山の方の活動への参加を願っております。
協力して頂ける方はご連絡ください。
連絡先:コミュニティひばり FAX 072-////
              mail ////
・・・・・・・・・・・・・・・
(以上、改行位置は現物と異なります。
 FAXとmailは省略しました。)

我の注

注1:歴史的建造物復興宝塚浪漫物語委員会
ここ、ひょうごヘリテージ機構
に少し説明あり。
「2011(平成23)年9月、自治会
 「コミュニティひばり」のなかに、
 「歴史的建造物復興’宝塚浪漫物語’」
 という組織が結成され、」
とのこと。

注2:コミュニティひばり
ここ、「宝塚市みんなのまちづくり協議会」
に少し説明あり。
「その地域のすべての住民と団体・事業所
 ・学校の人たちも構成員です。」とのこと。

注3:兵庫県ヘリテージマネージャー
「ひょうごヘリテージ機構」のサイトの
ここ
に少し説明あり。
「2017年10月現在、43都道府県で養成
 講習会が実施されるようになり、
 3,800名を超えるヘリテージマネージャー
 が誕生しています。」
とある。

注4:『宝塚雲雀丘・花屋敷物語』
萬字屋書店のサイト
ここ
に、書籍の画像あり。

看板の左半分の記載は次の通り:
・・・・・・・・・・・・・・・
北米の住宅を参考に建てられた旧安田邸
 この家は、バンガロー風の気安さと
控えめな歴史様式が取り合わされ
る20世紀初頭の北米中産階級の郊外住宅
の様式を取り入れた最も初期の例であり、
しかもそれが素人建築家と和風大工の手に
よって作り上げられたという点できわめて
興味深い建物だ。全体に大らかな近代性を
漂わせ、住宅史上、日本のモダンリビング
の定着過程を示す格好のモデルである。
外観は、急勾配のセメント瓦葺き屋根、
三連の円頂窓(注1)、腰(注2)のシングル
張りやモルタル壁に自然石をちりばめた
独自の意匠が施されている。窓は分銅式の
上下窓に簡素な月の印が入った戸袋、
南壁面にはオーナメントがあしらわれている。
 洋風の外観の中にも仏間や和室が配置され、
日本の生活にも対応した間取りとなっている。
内部、外観とも建設当初の姿を残し、
当時の趣をいかんなく漂わせている。
市の都市景観条例で都市景観形成指定建築物
(注3)となっている。
(宝塚雲雀丘・花屋敷物語より引用)
・・・・・・・・・・・・・・・
(以上、改行位置は現物と異なります。
 また現物は縦書きです。)

我の注

注1:三連の円頂窓
どんな窓のことやら。看板に出ている写真
を見てもよく分からず。

注2:腰
「腰壁」のことか?
「壁の中央よりやや下の部分をいい、窓台
 をほぼ基準としてそれより下の壁のこと。
 対面キッチンの仕切りに設ける床から
 1メートル程の高さの壁なども腰壁に
 あたる。
 なお、壁の中央よりやや下の部分に
 上部と異なる仕上げを行った壁のことを
 腰壁ということが多い。
 傷や汚れから守るためや単調な壁面に
 アクセントを加えるために板材などを施す。」
(建築・住宅用語集「腰壁」より)

注3:都市景観形成指定建築物
ここでは「都市景観形成指定建築物」
とあるが、こないだの看板、宝塚市の
ウェブサイトでは「都市景観形成建築物等」
とあり、少し違うが、同じものか?

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「岩田植物生理化学研究所」
Dsc_0097


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2018年9月 4日 (火曜日)

阿部元太郎の造りしもの(拾):‖雲雀丘100年浪漫 「都市景観形成建築物等」「景観重要建造物」

こういう看板が
雲雀丘花屋敷の西改札口を出たところに
建てられています。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0005_10

この看板を見ますというと、こないだの記事
に記載しました、「市の都市景観形成建築物」らしいのは
3つ載ってて「高碕記念館」「旧安田邸」「S邸」ですね。
ほな、ほかは?

宝塚市のウェブサイト
「都市景観形成建築物等」
には20邸掲載されています。

「都市景観への市民、事業者の意欲の高まり
 と関心の醸成を図るため、宝塚市都市景観
 条例に基づき、
 1.周辺地域と共に良好な景観を形成し、
  地域の雰囲気を特徴付けている建築物
  など
 2.歴史的、文化的価値又は建築的価値を
  有している建築物など
 3.地域の多くの人々に親しまれ、愛されて
  いる建築物など
 を、都市景観形成建築物等として指定し、
 その保全を図ることとしています。」

ということで以下、写真付きで掲載されています。

(1)I邸 (2)Y邸 (3)宝塚ホテル (4)M邸
(5)旧和田家住宅 (6)木接太夫碑 (7)Y邸
(8)M邸 (9)K邸 (10)K邸 (11)I邸
(12)K邸 (13)K邸 (14)M邸 (15)M邸
(16)I邸 (17)Y邸 (18)T邸 (19)T邸
(20)高碕記念館

都市景観形成建築物等
「景観形成建築物等に指定されている建物は、
 指定の趣旨をご理解いただき、大切に保全
 されながら、現在もお住まいとして使用
 されています。
 したがいまして、防犯上、プライバシー等
 の観点から建物名はイニシャル表示と
 させていただいております。ご了承
 ください。」
ちうことです。よって
M邸 4邸
K邸 4邸
Y邸 3邸
I邸 3邸
T邸 2邸
宝塚ホテル 1邸
旧和田家住宅 1邸
木接太夫碑 1邸(←邸か?「碑」やで??)
高碕記念館 1邸
という分布になる。(だからなに。(笑))

そうか、名前を出すとまずいのか。
しかしさっきの看板には「旧安田邸」て
書いてしまっていたぞ。
で看板にはある「S邸」が
「都市景観形成建築物等」にはない。
どういうこと??

景観重要建造物というのがあって
そこには、
「この度、平成29年(2017年)12月1日に
 地域の景観の核となる建造物、
 「高碕記念館」と「正司邸」を景観法に
 基づく景観重要建造物として市内で初めて
 指定しました。」
とある。

よって次の解釈でよろしか?

 仮に看板のS邸は正司邸(我が実際に肉眼で
 確認した位置とだいたい一致しているし)
 であるとして、

 S邸は「景観重要建造物」であって
 「都市景観形成建築物等」ではない?
 (冒頭の看板の凡例が誤り)
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0005_11

 「高碕記念館」は「景観重要建造物」
 でもあるし「都市景観形成建築物等」
 でもある?

 宝塚市のウェブサイトの
 景観重要建造物
 の方では、「指定第2号 正司邸」および
 だいたいの住所まで記載があるし
 写真もあるし
 高碕記念館前の看板 
 でも「正司邸」と名前が出ているのに、
 なぜか冒頭の看板では「S邸」としている。
 看板が「S邸」に距離的に近いから?
 その割には冒頭の看板では「旧安田邸」
 と書いてしまっている。これが宝塚市の
 ウェブサイトでは「Y邸」となっている
 分か?
 景観重要建造物 
 には「「正司邸」は、大切に保全されながら、
 現在もお住まいとして使用されています」
 とあるので、そこを配慮して冒頭の看板は
 「S邸」表記なのか。
 すると「旧安田邸」はそうではないのか?
 「旧」て書いてるしな。

てことでよろしか?

こないだの記事
に記載しました、
「市の都市景観形成建築物20棟中、
 雲雀丘には14棟ある。」
からしますと、その14棟は
「高碕記念館」「Y邸」のうちの1邸
の計2邸は確定でよろしか?
「S邸」は入らない(「20棟」にも
入っていない)、と。
宝塚ホテル 旧和田家住宅 木接太夫碑
の3邸は、雲雀丘にないことは確実。
つまり雲雀丘にあるのは、
M邸 4邸
K邸 4邸
Y邸 2邸(1邸は旧安田邸やとして-1)
I邸 3邸
T邸 2邸
以上計15のうちの12邸やが、それがどこか
未判明や。
「プライバシー等の観点から」判明しても
発表するのはよろしくない。

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「宮川石器館」個人でやられているようです。訪問時は要予約という情報もあり。
Dsc_0095_1


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2018年9月 2日 (日曜日)

阿部元太郎の造りしもの(九):‖雲雀丘100年浪漫 米進駐軍による接収 正司邸と高添邸

この看板の件のつづき。
もうこの看板の話も大詰め、
看板のいちばん左の記事はこうです;

 「太平洋戦争終戦後
  米進駐軍による接収
  1947年(昭和22年)
  終戦後の昭和22年〜28年、雲雀丘の住宅
  は数多くアメリカの進駐軍に接収された。
  特にここは、米軍将校の住宅として
  使える洋風住宅が集積し、当時は周辺が
  未開発の地域であったこと、自動車が
  通行しやすく、鉄道も専用駅であった
  こと、他の接収施設である伊丹空港、
  宝塚温泉、宝塚大劇場との利便性など
  をみても、米軍将校駐留地としては、
  ほかにはない条件が整っていた。

  正司邸と高添邸が国登録有形文化財へ
  2006年(平成18年)指定
  2016年(平成28年)指定
  「歴史的景観に寄与している」を
  理由に、正司邸と高添邸を国登録有形
  文化財に登録。
  また、市の都市景観形成建築物20棟中、
  雲雀丘には14棟ある。」

「自動車が通行しやすく」と言うても、
今となっては結構狭い道になっていますし
まあ、凍結したりしたら大変厳しい急坂
急カーブの道が多いです。

「鉄道も専用駅であった」というのは、
まあ雲雀丘駅が私設やったことを指して
いるのかな。別に住民以外でも利用できた
のでは?とは思うが。

宝塚温泉、宝塚大劇場が米軍に接収されて
いたとは。

正司邸と高添邸のどっちがどっちの年かが
はっきりしないが赤い屋根の方が正司邸で
あることは肉眼で確認しているので
--2018-9-4追記--
この看板
で一方だけが赤い屋根であることが
確認できる。
--追記ここまで--
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0048_2

Dsc_0046_3

Dsc_0046_4

正司邸が2006年(平成18年)指定
高添邸が2016年(平成28年)指定
ということやな。
これらも接収されたことがあるのかしら。

「市の都市景観形成建築物20棟中、
 雲雀丘には14棟ある」やとぉう!?
また調査対象事項が出てきましたね。

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「何の痕跡」トイレか台所か、なんか水回りのありそうな構造に、お店やさんのようなひさしの跡のような。これは雲雀丘ではありません。
Dsc_0027_5


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2018年9月 1日 (土曜日)

阿部元太郎の造りしもの(八):‖雲雀丘100年浪漫 銭屋五兵衛の墓

旧花屋敷駅と思われるあたりについてもう少し知っておこう。
出典:国土地理院ウェブサイト
Img20180825175729975
この地図(クリックで大きくなるかと)の
中央(+印)、今の花屋敷踏切のすぐ西に
旧花屋敷駅舎があったと思われる、
ちう話でしたが、そこから線路沿いに東へ
(川西能勢口方面へ)進みますと
線路のすぐ北に少しスペースがあります、
ここは「栄根寺(えいこんじ)跡」
ということです。

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0032_5

Dsc_0033_4
なになに。看板にはこう書いたある。
「栄根寺廃寺(えいこんじはいじ)
  栄根寺廃寺は、奈良時代川西南部に居住
 した氏族が創建した氏寺と考えられます。
 創建伽藍は現在不明ですが、古代瓦が出土し、
 隣接する栄根(さかね)遺跡からは建立に
 用いたと考えられる墨壺が出土しています。
  平成11年・12年の発掘調査では、平安
 時代後期(11世紀)に建立された仏堂跡が
 この場所で検出されました。桁行5間
 (14.5メートル)、梁間5間(13.5メートル)
 の規模で、中央に土盛りの須弥壇
 (しゅみだん)があり、南部には礼拝用の
 礼堂が付く構造などから、平安時代に再興
 された本堂と考えらえます。また本尊は、
 懸仏(かけほとけ)の出土などから、現存の
 薬師如来座像(県指定文化財)であることも
 わかりました。調査後の整備では、この
 本堂跡の平面を復元しています。
  なお、この場所には平成7年までに
 江戸時代再興の薬師堂が存在しましたが、
 阪神・淡路大震災で全壊しました。
  平成13年 3月30日 川西市教育委員会」

 (ふりがなは実際には漢字の上に記載。
 上記ではすべてのふりがなを記載
 しませんでした。
 改行も実際とは異なります)

銭屋五兵衛(ぜにやごへえ)の碑てのも
その横にあります。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0031_6
「日本貿易開祖」やて。
説明の看板もあります。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0034_3
こう書いてます。
「銭屋五兵衛は、安永2年(1773)に
 加賀国宮越(みやのこし)(石川県金沢市)
 の商家に生まれました。家業の質業を
 継いだ五兵衛は、質流れの古船で海運業に
 乗り出し、成功を治め富を築き藩の御用を
 受けるまでとなりました。しかし晩年、
 加賀の河北潟(かほくがた)の干拓に
 乗り出したところ、死魚が出たりそれを
 食べた人が中毒死する事件が起き、疑いを
 かけられた五兵衛とその一族は検挙され、
 嘉永5年(1852)五兵衛はそのまま牢の
 中で非業の死をとけました。
 生前の五兵衛と交流のあった西光寺
 (さいこうじ)(栄根寺の本寺)は彼の遺徳
 を忍び、明治35年(1902)東塚一吉の
 援助を受け、この地に銭屋五兵衛の碑を
 建立しました。」

 (ふりがなは実際には漢字の上に記載。
 上記ではすべてのふりがなを記載
 しませんでした。
 改行も実際とは異なります)

「忍び」て字が違うようやし、東塚一吉て
誰やねんということですが
まあ、へ〜って感じですな。
--2018-9-2追記--
ここ
によりますと、
「明治40年頃 東塚一吉、長尾山東部に
 炭酸泉を開削し、花屋敷温泉を開業。」
とのことで、新花屋敷温泉土地株式会杜が
トロリーバスとかつくるはるか以前に
温泉を開いた人やったんや
東塚一吉て。
--追記ここまで--
こんな曲がった石の碑もあります。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0037_3
判読しにくいが、「東塚一吉」らしき字も
見えます。
--2018-9-2追記--
これはどうも道しるべらしい。
ここ
になんと書いているか、などの記載がありました。
--追記ここまで--

『阪急沿線の不思議と謎』実業之日本社
 天野太郎監修
の冒頭折り込みの
「1919年(大正8)年当時の梅田駅周辺」
に当時の阪急の路線図が見えますが
それには池田には「呉羽神社」中山には
「中山寺」てな感じでご当地の名物?が
書いていますが、
花屋敷には「銭屋五兵衛の墓」と
書いてまして、(「墓」か?)
これも当時の観光資源やったようです。

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「銀杏」7月の終わり頃ですが強風で実(にまだなってない)が落ちちゃってました。
Dsc_0045


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2018年8月26日 (日曜日)

阿部元太郎の造りしもの(七):‖雲雀丘100年浪漫 旧花屋敷駅は

この看板の件のつづき。

旧花屋敷駅と思われるあたりを知っておこう。
出典:国土地理院ウェブサイト
Img20180825175729975
旧花屋敷駅は、この地図の中央の踏切近辺に
あったんやと思われる。
なんとなれば
ウィキペディアによると旧花屋敷駅と現在の
雲雀丘花屋敷駅の距離が355mで、また
この踏切名は「花屋敷」やから
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0022_7
まあ、この辺であろう。
もうちょっと拡大した地図がこれ。
出典:国土地理院ウェブサイト
Img20180825180334401
この地図で赤丸のあたりから東を見ますと
こうです。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0009_8
ウィキペディアによりますと、旧花屋敷駅は
相対式ホーム2面2線というのです。
上の写真の、踏切より手前、右にスペースが
ありますが、ここに宝塚方面行きのホーム、
踏切の奥、左に梅田方面行きのホームが
あったのではと最初は推測しました。
つまり、両ホームは相対しておらず
少し互い違いになっていたのではないかと。
電車はこんな感じに止まっていたのでは
ないかと。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0012_7
もう少し接近しますと、ほら、線路右に
スペース(さっきの地図で青丸のあたり)が
ありますよね。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0013_5
踏切の左奥(さっきの地図で紫丸のあたり)
には、ほら、なんか石造りのホームの
端っこみたいのが。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0014_3
違うかなあ?反対から見るとこんな感じ。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0020_6
でも違うかも知れん。
ここ勾配になっている。
ここがホームやとするとホームは水平を
保っているが線路が手前ほど低いもんね。
もう少し離れて、さっきの地図の
緑丸のあたりからみるとこんな感じ。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0027_7
やっぱ、ずっと登りで、
踏切のとこらへんで、平らになるので、
踏切の手前にホームてのは違うか。
さっきの地図で水色丸のあたりは確かに
道が少し広くなっていて、まあ、ホームと
駅前のスペースがあったのかも知れん。

--2018-9-1追記--
花屋敷駅の写真が載っているサイトを発見しました。
ここです。
このサイトの一番下に写真あり。
やっぱし、上記の通りさっきの地図で水色丸あたりが
駅前(駅横)や。
このサイトでは踏切名が「寺畑」と書かれていますが
現在は「花屋敷」となっています。
(本記事の上の方の写真の通り)
--追記ここまで--

水色丸のところには、
こういう道しるべみたいのがある。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0015_1
Dsc_0016_6
「釣鐘山」という文字が見える。
さっきの地図では切れているが、
地図の北の方、
トロリーバス路線であったと
思われる道路沿いの宝塚大学の
すぐ東にある標高205mの山です。
地図によると山頂近くまで階段?で
登れるよう。
この道しるべが、いつからここにあるのか
わかりませんが、
この釣鐘山も当時の観光資源やったのかも。

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「ラッピング電車」『川西』を表す車両やが、川西の何(どこ)を描いているのか分からん。
(追記 阪急のサイトによりますと、妙見の森・池田城跡公園だそうです。キャラクターが妙見のリフトに乗っています。)
Dsc_0006_3


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2018年8月25日 (土曜日)

阿部元太郎の造りしもの(六):‖雲雀丘100年浪漫 日本初のトロリーバス

この看板の件のつづき。

こんな記載があります。
(看板左から2つ目の記事)
 ーー
 日本初のトロリーバス
 雲雀丘独特の風景
 1928年(昭和3年)
 1928年。日本で初めて花屋敷駅から現在の
 満願寺付近にあった温泉地までの約2kmを
 無軌道電車が運行、
 終点には温泉浴場のほか、遊園地や動物園も
 整備されていた。
 この運行のために、道路が拡幅され道には
 桜の木が植えられた。ここ雲雀丘の桜並木も
 見事で、お花見スポットも数多く存在する。
 昔は下から見ると一帯がピンクに染まって
 いたと言われていたほど。
 ーー

今でも結構ピンクに染まっていると思います
けんども。

以前、ここでもちょっちだけ紹介している、
トロリーバスが走っていたというのは恐らく
ここであろうという場所。

ダッジェムカー(ここ ここ)のように、
架線から電力を得て走るというのですね。

現在では日本では黒部立山アルペンルート
にのみ存在すると、
去年、現地に行ったときに聞いたことがある。

道路が拡幅されたというが、現状こんな感じ。
Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
Dsc_0031_5

たぶん終点と思われる地点は下の写真。
なぜそう思ったかというとこちら
「阪急・のせでん 合同ハイキング
 2017年5月4日」
という資料です。
この地図でいくとここやろ、たぶん。
Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
Dsc_0027_6

「峠」と書いているお店があるあたり。
道路もこんな風で、そんなに広く
なっているわけでもないが、
他の地点よりは、店の前で道路の分岐も
あって、少し広い。
わかりにくい写真ですが
Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
Dsc_0026_8

で、ここがトロリーバスの終点やと
言い切っている資料はこちら
「日本初のトロリーバス路線散策で満願寺を目指す」
11分34秒ある動画です。
先ほど紹介したバス道の最大勾配が14.2%
やと言っています。
6分28秒からご覧ください。上の写真で紹介
した「峠」と書いてあるお店が
「峠の店」と紹介されており、100年前には
「新花屋敷温泉」の本社がここにあり、
この本社前がトロリーバスの終点や
と言っています。
9分37秒あたりで「新花屋敷温泉」が、
この終点より先の満願寺のさらに先にあった
と言っています。
さっきの「トロリーバス終点」からは、
満願寺への入り口付近まででも
500m以上あります。
なんでそんな手前でトロリーバスを終点に
してしまったのやろか。

--2018-9-1追記--
新花屋敷温泉土地本社前(現・長尾台バス停前)
と記載された写真の載ったサイトをみつけました。
ここです。
確かに現在の「峠」の位置のように思えます。
--追記ここまで--

ウィキペディアによりますと
「当初は延長も考えられており、第二期
区間として満願寺山門まで、
最終的には多田神社を経て能勢電鉄
 多田駅まで達する計画であった。」
なんと、てことは、さっきの
「阪急・のせでん 合同ハイキング
 2017年5月4日」
のコースはその「計画」にだいたい
沿うとるやないか
さすが阪急のせでん。
だいたいこの川西は南北方向に交通が
発達してて、東西方向が苦しいんで、
この計画が実現していたらなあ。
ライトレールてな感じででけんやろか。
多田から満願寺、雲雀丘を経て、阪急伊丹
につなぐのや。

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「雲雀丘の近辺」
Dsc_0041_1


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2018年8月19日 (日曜日)

阿部元太郎の造りしもの(伍):‖雲雀丘100年浪漫

この看板の件のつづき。

こんな記載があります。
(看板の中央あたり)
 ーー
 自然形状の宅地開発
 新生活スタイル
 洋風スタイルのすすめ
 開発においては、徹底的に自然にこだわり、
 緑の中に赤い屋根が点在する景色を思い描き、
 山を削らず既存樹を活かし家を建てる
 ところだけを平らに造成。
 また、道路に面するところには石垣や
 植栽帯を義務付けるなど、景観ルールを
 設けた。
 このように住宅地の最終イメージを
 明確にした住宅地開発は他にはなく、
 現在残っている都市景観形成建築物など、
 そのものがまさに貴重な文化遺産である。
 
 屋根には赤瓦
 阿部氏は、洋風モダンなライフスタイルを
 志向し、外国の統一した町並みに魅力を感じ、
 この地に建てる建物は全て赤い屋根瓦に
 したい気持ちがあった。
 ーー
当時は大阪市内などは工業化が進んでかなり
ごちゃごちゃしていて
水質とか大気とかの汚染も進んで
生活環境も良くなかったのであろう。
洋風への憧れも今とは違うもの
であったのであろう。
現在でも、地形をあまり変えてなさそうな
エリアも残っている。
逆に、ここは削ったんやろな、
とも見受けられるエリアもあるが。
屋根の色も、もしかすると赤瓦が多い
かも知れないが、全部そうという訳でもない。
まあでも、町並みコンセプト的には
今もそこそこ残っている感じもします。
まあ、しかし、勝手な想像ですが、
昔風のでかいお屋敷を代々受け継ぐ
ってのもしんどい感じで、
これからの人々のライフスタイルに合う
感じにアレンジしていかんと
今後の時代には残していけないん
かも知れませんな。
空き家や空き土地、あまりに広い区画を
整理統合などして、
間口が狭くて車でアプローチでけんような
エリアを解消したりするとか、かしら。
区画の小分けもせんとあかんのかしら。
まあ、権利関係ややこしそうで、
そらまた大変そうな話。

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「雲雀丘の階段」こういう階段でないと行けないおうちもある。
Dsc_0039_3


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2018年8月17日 (金曜日)

阿部元太郎の造りしもの(四):‖雲雀丘100年浪漫 長尾連山

この看板の件のつづき。

こんな記載があります。
(看板右から2つ目の記事)
 ーー
 阿部元太郎による雲雀丘の大紳士村開発
 1915年(大正4年)
 現在の御影・住吉地区の基礎となった地域
 の次に手がけたのが雲雀丘であり、
 当初、阿部は10万坪の土地を取得し、
 順次開発を進めていった。
 彼が理想とする住宅地を実現するために、
 土地購入者には細かな条件をつけた。
 そして自らも雲雀丘に自邸を構え、
 駅前に自身の銅像を置くなど、
 特に思い入れが深かったのがうかがえる。

 郊外生活を望まるる紳士は先づ一度
 ひばりがをかを見られよ

 砂防地指定と住環境
 雲雀丘住宅地一帯は、1898年に
 砂防指定地となっており、
 土地の形質変更を伴う全ての
 行為については 知事の許可が必要となる。
 住民からの要望で指定解除の申請が
 提出されたこともあったが、
 砂防指定地域ゆえに土地の形質変更が
 許可されなかったことにより、
 家の向き、高さ等微妙に異なり
 雲雀丘独特の景観が創られた、
 とすればその果たした役割は大きい。

 阿部経営十萬坪理想的大住宅地
 ーー
そうか、そういえば、雲雀丘の住宅は、
高さや向きが
あまり揃っていないところも多い。
それが雲雀丘らしさの一つなのか。
よその高級住宅街をあまり知らないが。

『阪急沿線の不思議と謎』(天野太郎・監修)
…(*)
によりますと、阿部が購入した土地は
下記のように約一万坪とある。
後で九万坪買い足したのかな。

 「阿部は現在の雲雀丘花屋敷駅の北側に
  そびえる長尾山東端の山麓の土地
  約一万坪を購入し、分譲住宅として
  売り出した。」

長尾山っちうのか。地図には載っていない。

先の記事で引用したこの地図
「平井(四)」のすぐ北が長尾山だろうか。
ウィキペディアには長尾山(ながおやま 302m)
の記述あり。すると合わないな、
そんなに高くないから。
「長尾台」ならゴルフ場の北にある。
「長尾山トンネル」はここから3キロほど
北西だ(この地図の範囲外)。
しかしそのトンネル上の山は
400メートル以上あるし??。
地名としての「宝塚市川面長尾山」は、
さらにさらに西、宝塚駅の北あたりになる。
ウィキペディアでいうところの「長尾連山」
と考えると、
 「愛宕山(あたごやま 335m)、
  長尾山(ながおやま 302m)、
  中山(なかやま 478m)
  からなる山である。
  別名として中山連山と称され」
とあるので、長尾「連」山の東端、という
意味かな。

(追記:長尾山見つけました。
 長尾トンネルのさらに2.4kmほど西に
 ありました。ということで、ここはやはり
 「長尾「連」山の東端、という意味
 ということで解釈しよう。)

この引用の地図で雲雀丘(一)〜(三)あたりで、
ざっくり33万m2くらいあるから、約十万坪か、
あら、
やっぱここのあたりやと考えると、
だいたい話合う!!

またこの本(*)によると雲雀丘駅は、
もともと花屋敷駅が、
わずか600メートル梅田寄りに
あるにも関わらず、
阿部個人がつくった私設の駅、
とあります。駅にはロビーを併設し、
ビリヤード台があったという。

現在は雲雀丘駅と花屋敷駅が統合されて
雲雀丘花屋敷駅という
全く新しい駅になっているので、
当然ロビーもビリヤード台も、
見える範囲にはありませんな。
銅像も見たことないな。
銅像くらい移設しそうなもんやが?
どこいった?

上記看板内の記述:
「土地購入者には細かな条件」というのは、
この本(*)では、

 「生け垣をつくり、美観に務めるといった
  特約を課した。」

とあるので、そのことであろう。

またこの本(*)では

 「現在、住民たちは自ら
  「まちづくりルール」を策定し、
  緑地面積を敷地面積の二〇パーセント
  以上にしたり、道路に面して樹木を植栽
  したりするなど、
  地域の景観が変わらないよう
  保全活動に努めている。」

とあります。確かに、そうかも知れん。
いつ行っても、どこかのおうちに
植木屋さんが来ている感じがする、
維持するのは大変だろう。

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

(2018-8-20少し修正しました。)

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「雲雀丘の植栽」
Dsc_0031_4


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