旅行・地域

2018年12月 8日 (土曜日)

使徒、襲来のあと :‖ 箕面大滝

gatewayって、への入り口、玄関口とかいう
意味らしい。
川西能勢ゲートウェイ
(言うてみたかっただけ)

すっかり季節外れになってまいりましたが
(しかも、グーグルさんのインデックスは
 いつになるかも分からんので、この記事が
 世にでる頃には、ますます季節外れに
 なるんでしょうなあ)
先日パトロールしてきました箕面の滝。

早朝、車ででかける。朝焼けが美しかったが
うまくその色が出ていない写真がこちら。
Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
(以下、機材同じ)
Dsc_0006_7_3


駐車場から見える山肌。何これ。
台風の被害か。
Dsc_0009_11_2


「滝へは行けます」
行けへんときがあったんか。
あるいは、滝以外には行けへんで、
という意味か。
Dsc_0012_11_2


まあ、そこそこきれいかな、今年は。
Dsc_0014_5_2


滝の左側、何じゃこりゃあ!!!
木ぃ全部無くなったんか!!!
台風かあ!!!
(地震か?ちゃうよな)
Dsc_0016_6_2


WiFiも各種カードも使えます。
しかし、いちばん肝心かなめの
銀聯がないやないか!!!
そんなんで中国人が来てくれんのか。
Dsc_0046_4


「もみじの天ぷら売り切れ」
早朝やったので、昨日の表示が
そのままになっているのか。
あるいは結構ずっとこのままなのか。
(やる気がないのか。)
だいたい、売り切れってなんじゃい、
もみじみたい、そこらじゅうに、
あんねんから、一瞬で調達できるやないか。
(あるいはもしかして、
 その辺のもみじを使ってる
 わけではないのか?)
Dsc_0048_1


一本の木で、半分、赤い
Dsc_0054_2_2


電線がじゃまなのよねえ、ここいつも。
Dsc_0055_4

I have patrolled Minoh Fall.



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2018年11月23日 (金曜日)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(伍)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(弐)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(参)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(四)

の続き。

摂津鉄道の終点、池田駅
(池田(小戸(おうべ))停車場)跡の痕跡が
何とか見つからぬもんかと捜索しとる
わけですが。

国土地理院地図より
図1
Img20181118171628111_2
(PCやと図をクリックすると大きくなるかも)

みつなかホールと「え」地点の間の空間、
橋詰公園の一角に、
こんなのがありました。
Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
(機材は以下同じ)
Dsc_0099_1_2
なんらかの構造物の土台ではなかろうか。
またその付近の地面をみますと
Dsc_0100_1_2
レンガの破片が埋まっている。
摂津鉄道時代の構造物の
ものやったりして(笑)

池田駅(池田(小戸(おうべ))停車場)跡
の少し先になるのではないかと思われる
「え」地点近辺の風景で、遺構っぽい
(「ぽい」のみ(笑))ところなのがこちら
Dsc_0089_2
この石積み、どうですか〜、お客さ〜ん
生きてるってなんだろ、生きてるってな〜に!

Dsc_0090_2
その近くに、
こういう「ほこら」がございまして。
背後にある石垣が鉄道遺構っぽい。
Dsc_0091_2
(「ぽい」のみね。)
「ほこら」のそばには
こういう大きな岩が埋まっていまして
Dsc_0093_3
これも何らかの構造物の土台では
なかろうかと。
Dsc_0092_1_2
どうでしょう。

また、その付近に井戸もあり。
Dsc_0094_2_2
もうひとつ井戸あり。
Dsc_0095_1_2

蒸気機関車に給水する用だったのでは
なかろうかと。
蒸気機関車の配管が詰まると具合が悪いので
かなりきれいな水が必要だったはずで、
川の水ではまずかろうと思われ
よってこんな井戸水を使ったとか??

図1の「う」地点の少し右、
ここは公園です。
のせでんハイキングのサイト
「コースマップ」

も再掲しますとこちら
Photo_2
ここにも「公園」と記載されていますね。
これは「川西市内公園一覧表」
によりますと
「榎会児童遊園地」「小花2丁目22」
「189平方メートル」ですね。

しかし、その言われなどは全く不明。
そこにこんな丸い構造物がありました。
Dsc_0112_2_2
真上から見ると円形の構造物です。
何かの土台やったのではないかとも
思われたが、
中央に石の碑みたいのがありまして
Dsc_0114_3
何て書いてますかね。
「青面金剛」でしょうか
検索すると仏教関係らしい。
「コースマップ」の「軌道跡」(点線)
からも離れているし、鉄道遺構ではないな。
これを避けて軌道を引いたのであろう。


まあ、すぐ近くを猪名川が流れており、
1897年まで池田駅があったとしても、
その後121年もの間に
何度も何度も洪水があって
泥にも埋もれたであろう。
Dsc_0111_3
昭和13年7月集中豪雨 実績浸水深
1.0mと書いてあります。
遺構探しも厳しいはずですな。

Where is old Ikeda Station?

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「木ノ実」
何の木か忘れた。一庫公園。
Dsc_0018_8_3


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2018年11月18日 (日曜日)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(四)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(弐)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(参)

の続き。

記事にどんどん追記していくのと、
こうやって、新しい記事にしてしまうのと、
どっちがよいのやろうか。
記事が長い方が見にくいのか、
別れている方が見にくいのか。

摂津鉄道の終点、池田駅
(池田(小戸(おうべ))停車場)跡の痕跡が
何とか見つからぬもんかと捜索しとる
わけですが。

国土地理院地図より
図1
Img20181118171628111_2
↑クリックすると大きくなるかも。

こないだの記事では、
「あ」地点から南西(左下)に伸びる通路が
川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道)の痕跡
ではないかと見ておったのですが、
こないだの記事のこの写真
Nikon D5300 AF-S DX Nikkor 35mm f/1.8G
Dsc_0019_8_2

Dsc_0020_6_2

を見ましても、どうもこれ暗渠ですよね。
つまり下に川がある。
こんなとこが果たして軌道跡やろか?

川辺馬車鉄道の軌間は1067mm(JRと同じ)、
その後の摂津鉄道では762mmと
狭軌やったので、
この川の流れのすぐ横に軌道があって、
その両側に家が立ち並んだ、、、
というのはどうかね??
ちょっち、説として苦しくないすか。

ウェブ上にどなたかが上げてはった
『かわにし「川西市史第3巻」』
の図12を、そのまま載せるのは
マズかろうと思て、書き写したのがこちら。

Photo_2
↑クリックすると大きくなるかも。

見にくいな(笑)
「文」とあるのが、現在もある川西小学校
であろう。右上の長方形が池田駅で
そこから南西(左下)に伸びる点線が軌道。
道とほぼ平行に伸びている。

のせでんハイキングのサイト
「コースマップ」

も再掲しますとこちら

Photo_5

これとも見比べまして、やっぱし軌道跡は
現在もある道と平行になっているべし
かと思われます。
よって上記図1で「あ」ではなくて
「い」あたりから南西へ、
「う」のあたりの路地へと結ぶ線が
軌道跡となるではないかと、
思い直しております。
そこには現在通路はないが、
家の並び、あるいは家と家の間が
その軌道跡になるんやないかと。

この説を採用した方が、
「コースマップ」のように
「みつなかホール」の東をかすめるし、
図1の「え」あたりの建物の並びとも
真っ直ぐにつながる。
「い」と「え」の中間あたりが
「コースマップ」のいう池田(小戸)停車場跡
なのではないかと。

まあ、また痕跡の捜索には行ってきますが
「え」付近でこんなのを発見。

Nikon D5300 AF-S DX Nikkor 35mm f/1.8G
Dsc_0009_10_2

石造りで、「下水フタ」って書いたある。
なんか古そうだ。だから何?と言われると
まあ、何でもないんですけんども。

Where is old Ikeda Station?

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「墓標」に見えます(EVAに出てくるやつ)けど
違います。植林した木の支えです。
何の木か忘れた。一庫公園。

Dsc_0013_6_3


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2018年11月11日 (日曜日)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(参)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(弐)
の続き。
摂津鉄道の終点、池田駅の痕跡が
何とか見つからぬもんか。

池田駅はウィキペディアによると
1893年(明治26年)12月には開業している。
1897年(明治30年)に阪鶴鉄道に
路線が売却されており、このころには
池田駅は西の方に移転していたと思われる。
1897年まで池田駅があったとしても、
今から121年も前の話。

当時はもちろん蒸気機関車やから
終点の駅付近には、
転車台や、水や石炭を貯めておく
巨大で頑丈な建物があったはず。
そんなんの基礎跡でもないもんやろか。

「川西市史 第三巻」というやつの
「図12」に摂津鉄道池田停車場付近が
描かれているらしい。
ネット上でも、どなたかが、
それを写真に撮った画像が見られる。
それを見ますと、東西に伸びる街道の
手前(南)に池田駅はあったようだ。
じゃ街道の向こう(北)側に転車台などは
作らないだろう。

ウィキペディアによると摂津鉄道は
客車を4両連結していたという。
1両何mやったのやろか。
京阪石坂線の現在の車両長さは
16.5mらしい。
これは短い方やと思う。
摂津鉄道の時代はもっと短かったやろか。
15mとして4両で60m、
これに蒸気機関車が付く。

国土地理院地図
図1

Img20181111170123856_2

(図をクリックすると大きくなるかも)
この図1で「イ」地点の東西の大きな道は
国道176号線。「イ」地点から北に伸びる道は
小戸(おうべ)神社に続く。

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0025_8_2

上の写真は
「イ」地点のすぐ北にを撮ったものやが
こんな風に石碑もあってこま犬もいる。
よって、
「イ」地点より北に駅やその他鉄道施設は
なかったであろう。
「イ」地点のすぐ南、小花(おばな)交番が
鉄道施設の北端であろう。
「イ」地点の南の広場は、以前の記事で
 紹介した西詰公園。
「ロ」地点は、みつなかホール。
「ハ」から南西(図1では左下方向)に
 伸びる道が、軌道跡ではないかと見ている。

小花交番からみつなかホールまでが
直線距離で90mほど。
この間に、転車台もホームも
収まっていたのやろか。
国土地理院のサイトから得た航空写真

Photo

USA.jpg
整理番号 USA
コース番号 M34-3
写真番号 31
撮影年月日 1948/03/31(昭23)
撮影地域 大阪西北部
撮影高度(m) 2438
撮影縮尺 15875
地上画素寸法(cm)
カメラ名称 K-17B
焦点距離(mm) 153.600
カラー種別 モノクロ
写真種別 アナログ
撮影計画機関 米軍
市区町村名 川西市

ずいぶんと時代が下ってからの
写真になります。
真ん中へんだけ切り出したのがこちら。

Photo_3

この航空写真やと、今の、
みつなかホールやマンションのあるところ
(「ロ」地点)は、
この当時は農地か更地のようで
建物がある感じがしない。
「イ」地点と「ロ」地点の間は
建物がぎっしり建っているように見える。
しかしながら、
転車台を思わせる、丸い感じの区割り
などは見えない。

もし「ロ」地点に何かあったとしても
みつなかホールやマンションが
建設されたときに、跡形もなく整地された
のやろな。
まあ、もう少し、この周辺の捜索を継続
してみますか。

Is there a trace of the turning table?

---2018-11-12追記ここから---

のせでんハイキングのサイト
のコースマップに見落としあり。
こんなことが描いてました。

Photo_2

みつなかホールの北東、
阪急の高架の下あたりを停車場跡としている。

「池田(小戸)停車場跡」とは?
「小戸(おうべ)停車場」という名称だった
こともあったということか??

---ここまで---

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「何のマーク」一庫ダム。インドネシア国旗みたいなんが描いてある。
Dsc_0012_8

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阿部元太郎の造りしもの(参):‖雲雀丘100年浪漫 「雲雀丘」の由来 「滝の谷川」「雲雀の滝」(弐)

これも過去の記事の追記修正はやめて
新規記事にしよう。
タイトルが「(参)」の「(弐)」とか
えらいややこしいことになるが。

前の記事
阿部元太郎の造りしもの(参):‖雲雀丘100年浪漫 「雲雀丘」の由来 「滝の谷川」「雲雀の滝」
ででました、「滝の谷踏切」ですが、
ニフティニュースによりますと
この踏切がJR西日本では、
いちばんの開かずの踏切になるとのこと。
遮断機が下りる時間が
1時間のうち、最大55分もあるという。
へえ〜。

今まで1位、2位だった、東淀川駅の両側の
「南宮原踏切」と「北宮原第1踏切」が
それぞれ57分と56分だったのが
廃止が決まったとのことで。

東淀川駅らへんは、
複々線であるJR京都線が
新大阪駅の多数のホームに
分岐していくとこなんで
そらあ、線路数も多いし、幅も広いし、
(南宮原の方は渡りきるのに46.8mやとか)
さもありなん、ですが、
滝の谷踏切は、JR宝塚線の上下1本ずつの
計2本、まあ、10mもないような踏切でっせ。

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
Dsc_0019_9

わかりにくい写真で恐縮。
フェンス越しに撮ってて
もやっとしていますが
右奥が滝の谷踏切。
人と、自転車程度しか通れません。
考えたら確かに自転車がこの近辺、
JRを渡るのが不便なんですなあ、
歩行者ならJRの下をくぐれる通路は
あったりするのですが。
JRのすぐ北が国道176合繊(の旧道)ですが
この道自体、歩道が狭いというか
ないところもあって、
路肩もほとんどないとこもあって、
自転車で走りにくいんですよね。
スペース的に苦しいが、なんとか、
国道176号線も含めて
いい感じに改修してくれると嬉しいのですが。
まあこの近辺も少子高齢化が進んでまして、
自転車で走りやすくしてほしい、
なんて要望自体が減少傾向なのかも知れん。

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「地下道」こんな感じの歩行者だけ通れる地下道は近くに存在する。阪急雲雀丘花屋敷駅利用客などが結構多く利用している感じです。
Dsc_0009_8

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2018年11月10日 (土曜日)

軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ(弐)

最近は過去の記事に追記修正ばっか
しておりました。
本件についても、過去の記事
軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道 (後に摂津鉄道、その後が阪鶴鉄道))はどこ
に追記を進めておりましたが、
もう、新規記事にしてしまいましょう。

のせでんハイキングのサイト
のコースマップからの引用の下図
図1

Photo_2

から、いろいろ考えを進めているのでした。

国土地理院地図より
図2

Img20181110150725653

(図をクリックするとでかくなるかも)

図2で、上の方の広いスペースが
川西小学校ですね。
図2で「A」地点は
ニホンセイミツという会社の
敷地になりますので入れませんが
図1からしますと、この敷地内に
川辺馬車鉄道の軌道があったように
読み取れます。
ニホンセイミツの敷地を南側からみた写真が
こちら。
Nikon D5300 AF-S DX Nikkor 35mm f/1.8G
(機材は以下同じ)

Dsc_0009_9

この写真の右にニホンセイミツの建屋が
見えています。
左奥の道が図2の「B」地点です。
「B」地点から南をみた写真がこちら。

Dsc_0010_4

このスペースが軌道跡かな?。
「B」地点から北をみた写真がこちら。

Dsc_0011_8

この写真の右がニホンセイミツで、画面右の
ガードレールに沿った感じが軌道跡か?
このガードレールの右の方をみた写真が
こちら。

Dsc_0012_10


この写真の右奥から左手前にかけて
軌道があったのかしらね。

国土地理院地図より
図3

Img20181110151050757_2

図3では左下に川西小学校があります。
図3で「C」地点から「E」地点にかけて
軌道跡があったのだろうかと思えたわけです。
「C」地点の南西(図3では左下向き)が
駐車場になってます。

Dsc_0013_7

この写真の右奥から左手前へと軌道が
あったのやろか。
「C」地点の北東(図3では右上)のスペース
の写真はこちら。

Dsc_0014_4

この写真の手前から奥へ軌道があったのか
もしくは
「C」地点の、「C」の字のすぐ右の路地
の方に軌道があったのか?
この路地は下の写真。

Dsc_0017_6_2

狭い。

「E」地点の北側はマンションです。
その写真がこちら。

Dsc_0022_8

「E」地点から南西(図3では左下向き)に
延びる通路をみた写真がこちら。

Dsc_0018_9

この道を奥へ入っていったらこんな感じ。

Dsc_0019_8_2

「F」地点あたりで後ろを振り返りますと
こんな感じ。

Dsc_0020_6

奥に「E」地点のマンションが見えています。
とまあ、図1からするとこの
「D」ー「F」ー「E」が軌道跡やという
ことのようですね。

国土地理院地図より
図4

Img20181110151325415


「G」地点は「みつなかホール」です。
「H」地点から「G」地点を見た写真が
こちら。

Dsc_0023_9_2

高架は阪急宝塚線。奥が、みつなかホール。
この写真の中央奥から左の橋脚の向こう側
(左方)へ軌道があったのではなかろうか。
そして、この写真の左の方はというとこちら。

Dsc_0024_5

図4の「I」地点から南を見ています。
奥の高架が阪急宝塚線。この公園の名は
「橋詰公園」。
鉄道の終点は呉羽(くれは)橋の西詰に
あったらしいので、この公園の名前からして
ここが終着駅(摂津鉄道では「池田駅」)
の跡地ではないやろか。
しかし、公園には、そのようなことを
書いたものなどはないのですなあ。

Where is the Kawabe carriage railway?
Is not the terminal station "Ikeda station" the current "Hashidume Park"?

「不審者に注意」んなこと言われましても。
Dsc_0028_8_3

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2018年10月 8日 (月曜日)

あんまし乗らない、能勢電の話:‖ 沿線情報誌「のせでん」2018年秋号vol.62インプレッション

能勢電鉄の沿線情報誌
「のせでん」2018年秋号vol.62
を見ましての感想など。

表紙、裏表紙

紅葉が美しい。能勢電に乗ってこんなとこに
行きたなりますなあ。

路線図であらためて駅ナンバーを見ますと
川西能勢口がNS01で、そこから通し番号で
妙見口がNS14ですが、枝分かれする
日生中央はNS21ですね。
妙見口方向あるいは日生中央方向で
延伸があっても番号を取りなおさんでも
大丈夫ですね。
能勢電という名前やのに、
能勢電では能勢町には行けへんのですなあ
いつの日か能勢町まで
延伸しませんでしょうか。

11月10日(土)は
「のせでんレールウェイフェスティバル
 2018秋」
とあります。
「詳しくは駅のポスターやホームページで
 順次発表します」
とあります。
去年の情報などを見ますと
阪急のレールウェイフェスティバルみたく
事前申し込みとかが要るふうではない
のですが。飛び込みでいけるのかしら。

中面はこちら

大和団地ってのは「だいわだんち」と読む、
このパンフにはそれは書いてないようやが。
まあ、「だいわだんち」が読めへんやつは
このパンフ読まへんやろ、っちうことね。

第19回大和夢ナリエ
てこんなん知りませんでしたね。
電飾やて。12月15日〜1月17日と
期間も長いので、ちょっち行って見ますかね。
でも夜やしな(当たり前)、寒いやろしな。
17時に点灯したのを見たら帰ればいいか。

沿線学校紹介は川西中学校。
写真が桜満開で、秋号にそぐわないですなあ。

My impression of Information magazine along Nose Electric Rwy; "NOSE DEN"

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「何かいる?」オオサンショウウオ的な何かがいるんかと思たらこれは石やな。
Dsc_0043_1

Dsc_0053_2_2


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2018年9月30日 (日曜日)

軌跡の価値は(弐):‖ 阪鶴鉄道本社はどこ

阪鶴鉄道本社の所在地について知っておこう。
過去の関連記事はこちら
略称の選択を:‖ 摂津鉄道はどこ
軌跡の価値は:‖ 阪鶴鉄道はどこ
せめて、人間らしく:‖ 摂津鉄道(阪鶴鉄道)はどこ
世界の中心で叫~ばず~に~いられな~い:‖ 摂津鉄道(阪鶴鉄道)はどこ


阪鶴鉄道の本社はどこにあったのか問題に
つきましては、
「鉄道の町 川西 〜再開発前の川西を探る」
に詳しい記載があります。そこの中で
阪鶴鉄道本社の話は
「阪鶴鉄道の本社はどこに」
「阪鶴鉄道の本社はどこに(2)」
に詳しい記載があります。

で、我は阪鶴鉄道の本社は、ここ↓にあった
のではないかと勝手に思とるのです。
国土地理院地図
(クリックすると大きくなると思います)
Img20180930160531932_3
この、青字で「P」と書いたとこ、
現在の「寺畑1丁目公園」が、
阪鶴鉄道本社の跡地ではないか?
と我は思うのです。
現在の所在地表記は「寺畑1丁目6」。
上記「阪鶴鉄道の本社はどこに(2)」
では、
「中ノ垣内8番地」となっているところ
かと思います。
そちらでは「丘とはいいがたい」ということで
候補地としては弱いとされているのですが。
(本社は「寺畑の丘の上」にあった、
 とのことから。)
(この寺畑1丁目公園は、すぐ南のJRの線路付近
 よりも標高は3mほど高い。まあ、それで
 丘と呼べるかどうかは?)
(「阪鶴鉄道の本社はどこに(2)」で
 「池田駅」から「花屋敷駅」(いずれも移転
 などで現存しない)へと至る道は、上記の
 国土地理院地図では、青丸でマークした道
 にあたると思われます。)

現在の「寺畑1丁目公園」はこちら
Nikon D5300 AF-S DX Nikkor 35mm f/1.8G
Dsc_0021_4

住宅街の中の、ちょっち広めの公園です。
Nikon D5300 AF-S DX Nikkor 35mm f/1.8G
Dsc_0022_6_2

この白いフェンスに沿って、左奥の方に
進みますとこれがあります。
Nikon D5300 AF-S DX Nikkor 35mm f/1.8G
Dsc_0024_4_2

「工部省」の「工」から採られたという
「鉄道省」のマークかと思われます。
上部の金属プレートは「川西市」と書いた
境界を表すものです。
阪鶴鉄道は1907年(明治40年)国有化されて
いるらしいので、
ここは元々は阪鶴鉄道の土地で、その後、
鉄道省の土地になったのではないか。
「川西鉄道小史」(けやき出版)に載っていた
本社の写真は、大きな立派な洋館でした。
結構な広さであっただろうので、跡地は
こんくらいの公園になりうると思たのですが。
しかし、
痕跡のようなものが上の写真の「工」のマーク
の他には見当たらないのでして。
公園の説明板とかも無いのでして。

Let's know where the Hankaku Railroad headquarters was.

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「もりのみやキューズモールBASE」こういう空中回廊(「AIR TRACK」と呼称するらしい)があって、走ったり歩いたりできるようになっていた。
Dsc_0010_2_3

Dsc_0011_6_3


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2018年9月24日 (月曜日)

澄円上人の造りしもの(壱):‖ 旭蓮社 大阿彌陀経寺

旭蓮社(ぎょくれんじゃ)について知っておこう。

所在地は
大阪府堺市堺区寺地町東4丁1−14

堺市は「丁目」ではなくて「丁」を使うの
ですなあ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
(以下も機材同じ)
Dsc_0004_5

この看板の記載は下記の通り:

-----
旭蓮社(ぎょくれんじゃ)
大阿彌陀経時(だいあみだきょうじ)
 当寺は、浄土宗で、本尊は阿弥陀如来です。
 元徳2年(1330)、澄円(ちょうえん)上人
の開山で、後村上天皇の勅願所であり旭蓮社
ともいいます。
 澄円上人は、正中2年(1325)中国廬山の
東林禅寺において、中国浄土教の祖である
慧遠(えおん)大師の白蓮社の念仏を学び
ました。その後、白蓮社に模して、堺の浜に
精舎を建て、これを旭蓮社と称しました。
 当寺は、慧遠派念仏本山として
栄えましたが、第23世徹誉(てつよ)の
時、京都の知恩院の支配に属しました。
明治維新以後、当寺は
堺県の裁判所となりました。
第二次大戦の戦災を受けましたが、
毘沙門堂は被害を免れました。
 境内に、神南辺道心(かんなべどうしん)
(江戸時代に数多くの道標をたてた)の墓が
あります。      毘沙門堂
堺市
-----

(改行位置は変えています。
 ふりがなは漢字の上に振られているのも
 変えています。)

堺県というのがあったのか。
で、またこんな寺が裁判所とな。
今の本堂で裁判やってたのではなくて
もっと裁判所らしいもんがあったが
戦災で焼けて、今の本堂は戦後のもの、
っちうことであろう。

境内の看板。
Dsc_0003_7

この看板の記載は下記の通り:
-----
廬山蓮(ろざんばす)

当山開基澄円菩薩(かいきちょうえんぼさつ)
は後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の正中二年
(西紀一三二五年)に中国にわたり、
廬山(ろざん)の東林寺(とうりんじ)におい
て、優曇普度禅師(うどんふどぜんじ)について、
慧遠大師(えおんだいし)の白蓮社
(びゃくれんじゃ)の念佛の流れを汲(く)み
帰朝された。帰朝に際して、優曇
普度禅師(うどんふどぜんじ)より
慧遠大師遺愛(えおんだいしいあい)の
蓮種(れんしゅ)
を授(さず)けられたのが廬山蓮(ろざんばす)
である。
開基澄円菩薩生誕(かいきちょうえんぼさつ
せいたん)七百年を記念し
て、此処に育成するものである。
平成二年七月 当山山主 敬白
-----

(改行位置は変えています。
 実際は縦書き。
 ふりがなは漢字の横に振られているのも
 変えています。)

七百年記念で、平成二年から育成を始めた
のか?
それまではどうしてたのか??
種のままで保存していたのかな???

Daiamidakyoji Temple belongs to
the Jodo sect of Buddhism.

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
「国宝 御影堂 落成法要」というポスターが貼ってあるが、これは知恩院(京都)の話。
Dsc_0005_10_3


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2018年9月17日 (月曜日)

阿部元太郎の造りしもの(拾弐):‖ 雲雀丘100年浪漫 周辺の様子(寺畑前川、ヤンマー花屋敷寮、サントリーご一族?、雲雀丘学園の門、鰻屋のポスター)

雲雀丘および、その周辺で撮った写真です。

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
(以下も機材同じ)
Dsc_0023_4
いきなりですが、
これは雲雀丘ではなくて、
そこから少しくだったところにある
「寺畑前川河川管理施設」。
大雨のときなど、
水を一時的に貯めるスペースがあるようで
これができて以降、今のところは
寺畑前川があふれたことはない。
(と思う。以前はあふれたことがあった。)

Dsc_0021_5
これは
旧花屋敷駅があったと思われる地点のすぐ北、
「ヤンマー花屋敷寮」と書いています。


そこから少し、西に行ったあたりがこちら
Dsc_0006_4
このあたりの大邸宅は、
サントリーの社長、会長のご一家?
のものではないかと勝手に思っている。
(もちろん確認などしていません。)

Dsc_0031_7
これは雲雀丘学園の門。
前は全部漢字でこんな感じやった。

まあこれは同じ門ではないのですが、
前は「不許入無挨拶雲雀丘」やったのが
「雲雀はあいさつから」に変わっています。
すこしやさしい感じになりましたね。

駅の近くに鰻屋さんがありまして、
Dsc_0050_1

その窓からこんなポスターが見えていました。
Dsc_0051_3

全文を引用しますと下記の通りです:

「母なる天然鰻を守ろう。
 おいしい鰻をお届けするために
 かかせない鰻の養殖。
 しかし、この養殖も、じつは卵から
 人工的にふ化させているわけではなく、
 天然の鰻の稚魚(シラスウナギ)を
 捕獲して、
 それを養殖池で大切に育てること
 により実現できています。

 近年、深刻なのが、その天然シラスウナギ
 の減少。
 2004年に比べ、2012年の取引価格は
 約10倍にものぼり、
 鰻のご提供価格にも大きな影響を及ぼし
 始めています。

 私たちは、古より愛され続けてきた鰻という
 貴重な天然資源の回復のため、
 産卵に向かう下り鰻の保護と天然鰻の
 漁獲抑制を求めて参ります。
 皆さまのご理解とご協力を何卒よろしく
 お願い申し上げます。

 日本鰻協会」

(改行位置は変えています。)
どのように協力したらよいのやろう。
鰻を食べなければよいのか。
(実際、もう最近は積極的には食べて
 いない。出てきたら食べるけどね。)
しかし、それでは鰻屋は困るやろなあ。

(2018-10-8少し修正しました。)

HIBARIGAOKA Hill 100 years roman

Nikon D5300 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
「廃棄物」これは猪名川の河原で撮ったもの。これは今や懐かしいCRT(ブラウン管)ではないか。あかんな、こんなとこに捨てたら。
Dsc_0042_2


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